- 発言者
- 末松 信介
- 発言者名(原文表記)
- 末松信介
- 役職(原文表記)
- 未登録
- 発言日
- 2026-03-16
- 会議名
- 参議院 予算委員会
- 発言種別
- 国会委員会
- 国会回次
- 第221回
- 発言番号
- 416
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国会委員会
国会会議録検索システムから取得した原文です。要約や言い換えは加えていません。
○末松信介君 今言ったように、水温の問題があるのか、藻場、干潟が減ったのか、とにかく魚種も変わってきていますので、海の中のことは分かりませんから、とにかく全体として大きく、三十年前に比べて六四%ぐらい、これはもう山口県から大阪まで魚が減っているはずなので、研究を引き続き努めていただきたいと、かように願います。 最後に、創薬の競争力について、強化についてお伺いします。よろしいですか。ここは外すと言っていたんですけど、時間がちょっとあったので聞きます。 新型コロナから世界を救ったメッセンジャーRNAワクチンは、アメリカの大学発スタートアップのモデルナが、僅か数か月で開発をして実用化したものです。 日本は輸入に頼りまして、この調達費用が二兆四千億円掛かったんですね。もしあのとき日本で発見から実用化まで完結できる力があれば、日本発のワクチンで世界をリードしていたかもしれません。中国に大きく依存している原薬の輸入がストップされたその場合、抗生物質、ワクチンも手に入らなくなると、そんな医療安全保障の危機が現実の脅威です。 日本の創薬競争力がなぜ低下したのか、その核心は、私は、発見は日本、実用化は海外というこの構図を変えなければ、日本は永遠に創薬後進国のままです。だからこそ、発見から実用化まで、グローバル化まで日本で完結する創薬戦略が必要だと思います。 象徴的な例がオプジーボです。森喜朗先生がオプジーボで一命を取り留められました。私の地元、医療産業都市でありますけれども、ここの理事長を本庶佑先生がされたんです。一九九二年に、免疫のブレーキ、PD―1を発見して、がんの歴史を変えました。その成果をもって、二〇一八年、ノーベル賞を受賞されました。 しかし、国内での大規模資金や臨床開発が追い付かず……
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