- 発言者
- 後藤 翔太
- 発言者名(原文表記)
- 後藤翔太
- 役職(原文表記)
- 未登録
- 発言日
- 2026-04-02
- 会議名
- 参議院 文教科学委員会
- 発言種別
- 国会委員会
- 国会回次
- 第221回
- 発言番号
- 142
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国会委員会
国会会議録検索システムから取得した原文です。要約や言い換えは加えていません。
○後藤翔太君 ありがとうございます。 今、先ほど私は日本語を入場券と表現しましたが、これはネーションが拡張可能であるということを意味しているというふうに思います。ただ、ネーションは拡張可能ですが、無限ではなく、会ったことがなくても同じ仲間と思える範囲にとどまると指摘されています。 今、日本というネーションにある戸惑い、つまり、外国人問題は、これまで自分たちのネーションを構成してきたものとは異なる背景を持つエスニックな人々と直面していることにあり、同じ仲間だと思いづらいということが問題だというふうに考えます。 ただ、日本というネーションがそういった異なる背景を持つ人々に直面したのはこれまでの日本の歴史で現代が初めてなのかというと、そうではありません。歴史を遡ると、一九一九年、日本は第一次世界大戦のパリ講和会議により、旧ドイツ領のミクロネシアを国際連盟の委任統治領の南洋群島としてC式委任統治をすることになりました。C式委任統治は併合ではないため、自国領土とはできないものの、実態的には隠された併合と呼ばれていたそうです。 ここで、日本は、領域の中に、これまで包摂した東アジアの人々とは背景の異なるチャモロ人やカロリン人と呼ばれる人々を抱えることになりました。南洋群島を委任統治するための省庁である南洋庁が設立され、現地人向けの教育制度、インフラを整備しました。最終的には、公学校、公学校補習科、木工徒弟養成所という中等教育レベルまで学校が設立され、実際に運営されていました。南洋庁設置以降、現地児童は公学校に、日本人児童は小学校に通い、同じ学校には通いませんでしたが、教員と公学校と小学校間での異動は頻繁にあり、日本人教員と現地児童が教育を介して触れ合いを持ちました。要するに、日本は、こうした日本語を用い、教育を通じて、異なる背景を持つ人々を同じネーションに包摂しようとした歴史があるということです。 ここで、政府参考人に伺いたいと思います。 南洋庁は終戦後に廃止されましたが、南洋庁が南洋群島で実施していた共同体を拡張しようとした教育行政の蓄積が文部科学省に引き継がれているところはあるのでしょうか。
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